加工と関係ない話
三国志の烏桓からヨーロッパのアヴァールまで!
鮮卑語は一体いつまで話されていたのか?

2025年12月3日

こんにちは!
愛知県丹羽郡扶桑町で金属加工業を営んでおります、
有限会社溝口製作所の溝口 敬悟(みぞぐち けいご)です。

普段はマシニングセンタやNC旋盤の話ばかりですが、たまには全く関係ない話題を挟まないと頭が固くなってしまうので、今回も「加工と関係ない話」シリーズです(笑)


鮮卑語っていつまで生きていたの?

鮮卑(せんぴ)というと、北魏を建国した遊牧民族で、雲岡石窟・龍門石窟を作らせたことで有名ですね。
日本の仏教美術にも大きな影響を与えています。

で、彼らが話していた「鮮卑語」はいつまで生きていたのか?
言語学は素人なので、Grokに聞いてみました。

Grok回答(要約)
・5世紀末 孝文帝の漢化政策で宮廷・貴族層の鮮卑語が急速に消滅
・6世紀中盤 一部の軍人・辺境部族ではまだ残っていた
・7世紀(唐初期) ほぼ完全に漢語に同化
・8世紀以降 完全に死語化
→ 中国国内では実質6世紀末~7世紀初頭に母語としての使用が終了

たった一代の政策で上流階級の母語が消えてしまうなんて、歴史って恐ろしいですね……。

でも実は…三国志に出てきたあの烏桓とほぼ同じ民族!

ここで遡ること約300年。
鮮卑には「兄弟民族」である烏桓(うがん)がいました。

三国志ファンならピンとくるはず!

  • 207年 曹操が烏桓を討伐(白狼山の戦い)
  • 袁紹の息子たちが烏桓に逃げ込んで保護されていた
  • 曹操の名言「獅子は兎を討つに全力を尽くす」が出た遠征

あの時に曹操にボコボコにされた烏桓ですが、生き残った部族は次第に鮮卑に吸収され、
後の北魏を建てる拓跋氏の重要な血統になっていったんです。
つまり三国志に出てくる烏桓≒北魏鮮卑と近縁?というわけです!

そして…その烏桓がヨーロッパまで逃げてアヴァールになった説が!

ここからが本当のロマンです。

一部の研究者の間で唱えられているのが
「烏桓 → 鮮卑 → 柔然 → ヨーロッパのアヴァール」連続説

Grokに聞いてみた

Q: 烏桓とアヴァールって本当に繋がってるの?

Grok回答(要約)
はい、少数派ながら有力な説として残っています。

1. 烏桓(漢~三国時代)
上古中国語再建音(Baxter-Sagart)では */ʔˤa ɦʷˤar/ほぼ「アワール」

2. 鮮卑

鮮卑と烏桓は、匈奴の冒頓単于に滅ぼされた東胡の後裔とされ、同族とされています。

3. 柔然(北魏に敗れた鮮卑系を含む)

4. 6世紀末~9世紀 ヨーロッパのアヴァール可汗国
・東ローマの一部史料ではジュジェン(Geougen)、ルーシの史料ではオーブル人(Obrs)とも呼ばれる。
・出土した人名・官職名が鮮卑・柔然と驚くほど一致

→ もしこれが正しければ、三国志で曹操にやられた烏桓(≒鮮卑?)の末裔が、9世紀までハンガリー平原で国家を築いていたことになります!

最後の鮮卑語(烏桓語)の話者がいた場所が
洛陽の宮殿ではなく、ドナウ川沿いの草原かもしれない。
しかも民族名の響きが2000年経っても *Awar → Avar でほぼそのまま残っている……
これ、歴史ロマンすぎて震えます!!

うちの扶桑町の町工場も、いつか「昔は愛知にあったけど今は東欧で細々と……」
なんてことにならないよう、しっかり地元で次世代に引き継いでいきます(笑)

というわけで、今回も完全に加工と関係ない話でした!
次回はちゃんとマシニングセンタの話に戻します……たぶん。

有限会社溝口製作所
〒480-0103 愛知県丹羽郡扶桑町大字柏森字辻畑40-1
代表取締役 溝口 敬悟